2021年度(第21回 受賞論文)

第21回 徳川宗賢賞受賞論文(2021年度)

優秀賞

「日本語の左方転位構文はいつ,どのように使われるか?」
第23巻第1号, pp.226-241.

大江元貴
(金沢大学)
居關友里子
(国立国語研究所)
鈴木彩香
(国立国語研究所)

萌芽賞

「高齢者のノンフォーマル学習環境デザインに向けたアクションリサーチ —地域と大学との連携に着眼して—」
第23巻第1号, pp.53-68.

森玲奈
(帝京大学)

「変化する社会への適応方法としての「危機」言語 フィリピンのアルタ語の活性度と消滅プロセスから」
第23巻第2号, pp.35-50. 

木本幸憲
(兵庫県立大学)

授賞理由

優秀賞

大江元貴・居關友里子・鈴木彩香
「日本語の左方転位構文はいつ,どのように使われるか?」

第23巻第1号, pp.226-241.

 本論文は,左方転位構文の出現要因を,従来の話しことば/書きことばという抽象的なレベルに代わり,岩崎が提唱する「多重文法モデル」の観点から捉え直したものである.これは,談話文法研究において過去30年来議論されてきた用法基盤文法の1つの帰結であり,ジャンルごとに異なる文法の存在を想定することで,従来の固定的・画一的な文法観に再検討を迫るモデルである.筆者らは複数のコーパスを駆使した定量分析をもとに左方転位構文を検討し,それは情報構造よりも大きな談話展開とかかわり,話し手と聞き手の不均衡な関係にもとづくジャンルと結びついていることを鮮やかに検証している.

 これまで「ジャンル文法」は,話しことば文法から書きことば文法の連続体として捉えられ,その流動性ゆえに個人的特徴やレジスターとの区別も判然としていなかった.しかし本論文では,出現のジャンルをあらかじめ規定する代わりに,「言語表現の自然さ」(そしてそれが他のジャンルで生起することの不自然さ)といった指標を用いて,左方転位構文といくつかのジャンルとの結びつきを明らかにした.それを通じて,「独演調談話」という横断的なジャンルの存在とジャンル文法の階層性を提案した点に理論的な貢献が認められる.豊富なデータと明快な論旨,そしてコーパス分析という再現性の高い方法論を駆使し,ことばと社会のかかわりの解明に科学的な検証方法を導入したことが,本学会の優秀賞にふさわしい論文であると判断された.

萌芽賞

森玲奈
「高齢者のノンフォーマル学習環境デザインに向けたアクションリサーチ —地域と大学との連携に着眼して—」

第23巻第1号, pp.53-68.

 本論文は,都市郊外の団地における高齢者の学習ニーズを明らかにし,地域に根差したノンフォーマル学習環境をデザインする目的で行なわれたアクションリサーチである.多世代交流の対話型ワークショップを6年間にわたり開催し,学習ニーズの探索と学習ニーズ別ワークショップのそれぞれの段階での語りやインタビュー,観察データを多角的に分析している.これを通して,高齢者の学習ニーズの解明と,高齢者と大学生との交流,参加者の気づきや新しい課題の発見,高齢者とステイクホルダーの自主的参加と主体的取り組みの醸成に成功している.

 超高齢化が進む日本社会において,高齢者の豊かで充実した生活の追究は喫緊の課題である.この課題に本研究は教育学的観点からアプローチし,「主体的に学ぶ高齢者像」の創出を目指している.研究者と高齢者自身が協働し,持続可能な学習モデルを探索し,実践につなげ,新たな課題を発見するといった継続的なサイクル形成が実現している点が高く評価される.サロン運営スタッフ,大学生,高齢者から得られた談話データの分析は,教育工学と談話分析が交差する領域であり,社会言語科学における研究視野の拡大に貢献している.本学会が提唱するウエルフェア・リングイスティクスの趣旨にも合致し,今後の進展が期待される優れた研究として,萌芽賞にふさわしいと判断された.

萌芽賞

木本幸憲
「変化する社会への適応方法としての「危機」言語 フィリピンのアルタ語の活性度と消滅プロセスから」
第23巻第2号, pp.35-50.

 本論文は,フィリピン・ルソン島で使用されているアルタ語の消滅プロセスをめぐる社会言語学的状況を,約2年間にわたる現地調査に基づき,記述したものである.ユネスコの「言語の活性度/危機度の指標」による分析から,アルタ語の言語使用領域が極めて限定的であること,言語維持に積極的な人もわずかであることなどを示した.その一方,アルタ語が消滅していくことに,アルタ語話者は否定的な評価をしているわけではなく,ネグリート(狩猟採集民)として,他民族との適度な距離を保ちながら生活していることを明らかにした.その上で,多面的で複雑な事象であるはずの「危機言語」が過度に単純化されている危険性を示し,危機言語に対する悲観的な評価を相対化する必要性を主張している.

 本論文は,アルタ語の消滅プロセスを,ユネスコの指標に基づく検証を踏まえた上で,話者の言語意識,他民族との関係への目配りを行いながら記述したこと,そして,近年盛んになっている「危機言語研究」の課題を明確に示した点で高く評価できる.今後は,例えばアルタ語を取り巻く他言語の社会言語学的状況を記述することで,フィリピンのルソン島における「危機言語」の現状をより多面的に捉えるなど,新たな発見を望むことができ,萌芽賞にふさわしい研究といえよう.本論文は,アルタ語社会のみならず,「危機言語」社会への還元も期待できる点で社会的意義も大きい.

徳川宗賢賞を受賞して

大江元貴・居關友里子・鈴木彩香

 この度は徳川宗賢賞という栄えある賞を賜り,大変光栄に存じます.本研究を支えてくださった全ての方々に心より感謝申し上げます.本研究は,それぞれ研究スタイルの異なる著者3人が何か一緒にできると楽しいのではないかという動機から始めたものです.何の見通しや戦略も持たないまま「日本語の左方転位構文がいつ,どのように使われるか?」という素朴な問いに実感をもって答えることにこだわり続けていたところ,いつの間にか「文法とはどのような体系であるか?」という大きな問いにたどり着いていました.当初はここまで大きな議論に展開するとは全く想定しておらず,そういう意味では左方転位構文に導かれて成った論文と言えます.本論文のその先のビジョンについては著者らにもまだはっきりと見えているわけではなく,目の前の言語現象に導かれるまま考えを進めていくことしかできそうにありませんが,文法と社会との結びつきをできるだけ具体的かつ明瞭に捉えるための試みを今後も続けて参りたいと考えております.

森玲奈

 この度,徳川宗賢賞萌芽賞という栄誉ある賞を賜りましたこと,大変光栄に存じます.特集号編者の皆様,丁寧に根気よくご指導くださった査読者の方々に心より御礼申し上げます.また,本研究は長い期間,研究者のみならず多くの方々と共に歩み支えられながら実現できたものです.関係者の皆様全てに改めて心より感謝申し上げます.

 本研究の着想は,自身が帝京大学八王子キャンパスへ就職面接に行く際のバスの中で生まれたものでした.バスには地域の高齢者の方と大学生が混在しており,しかし関わりを持たない様子が見て取れました.隣接するエリアの市民と大学生とが学び合うことはできないだろうかということが問題意識の原点にありました.その方法として,まずは相互の対話から,と考えたことが本研究につながりました.今後も研究実践に邁進する所存です.よろしくお願い申し上げます.

木本幸憲

 この度は栄えある賞を頂きまして,誠に感謝申し上げます.特に,用語法から全体の構成に至るまで有益な意見を下さった査読者,担当編集者の皆様に心よりお礼申し上げます.

 この研究は,社会言語科学会第33回大会(2014年)で発表した「フィリピン・アルタ語の社会言語学的状況と言語危機」が元になっております.しかし方向性や内容などはかなり変わりました.特に,他民族とうまく共生している彼らの生き方に接するうちに,危機言語という,固定的な視点から一度離れた方がよいのではないか,と考えるようになりました.

 本論文では,アルタ語の事例を踏まえ,少数言語をめぐる歴史的背景が多様である分,言語シフトの問題も多面的に語られるべきだ,という点を論じました.決して主流派ではない視点をこのように評価していただき,大変勇気づけられます.

 コロナでなかなか調査地に行けない日々が続いています.次に行ったときには「実はすごいニュースがあるんだ」とこのことを伝え,フィリピンの青空の下で共に喜びを分かち合いたいと思います.