第12回 徳川宗賢賞受賞論文(2012年度)
優秀賞
「話し手の視線の向け先は次話者になるか」
『社会言語科学』
第14巻 第1号 97頁~109頁
- 榎本美香
- (東京工科大学メディア学部)
- 伝 康晴
- (千葉大学文学部)
萌芽賞
「身振りにおけるマイクロスリップと視点の持続性」
『社会言語科学』
第14巻 第1号 5頁~19頁
- 古山宣洋
- (情報・システム研究機構国立情報学研究所・総合研究大学院大学複合科学研究科情報学専攻・東京工業大学大学院総合理工学研究科知能システム科学専攻)
- 末崎裕康
- (総合研究大学院大学,日本学術振興会)
- 関根和生
- (日本学術振興会)
受賞理由
優秀賞
「話し手の視線の向け先は次話者になるか」
榎本美香・伝康晴
本研究は,三人以上の会話で基本的な問題となる視線行動と次話者選択の問題について,精密な分析によってそこに潜んでいる規則を明らか にしている.現在話している話者の視線の向けられた者が次話者になりやすいという現象は,わたしたちが日常会話の体験からうすうす感じていることだが,本 研究の価値は,まずこの現象を定量的にはっきりと示したことにある.さらに,例外の現象にも微細な事例分析を加え,この現象が単なる傾向ではなく,わたし たちの意識されざる社会規範であり,うまく機能しない場合にはさまざまなオプションがとられうることを明らかにしている.定量的分析と事例の質的分析とを 巧みに組み合わせた手法も評価に値する.
一般に視線は見る行為としてとらえられがちだが,本研究は話者による視線を「見る行為」から「(次に誰が行為を行うと期待されているかを)指し示す行為」へと捉え直す画期的内容であり,今後さまざまな場面の多人数会話を考えるための基本的視点を提供している.
このように,本論文は,社会相互行為における言語および非言語的諸相を明らかにした優れた研究であり,後に続く研究に資するところも多いと考えられ,徳川賞優秀賞授賞にふさわしいと評価できる.
萌芽賞
「身振りにおけるマイクロスリップと視点の持続性」
古山宣洋・末崎裕康・関根和生
本論文は,自発的な身振りに見られる,マイクロスリップと呼ばれる微細な錯誤行為(躊躇,軌道や手形の変化など)を通して,言語,非言 語からなる談話の組織化の一端を明らかにしたものである.身振りを用いた談話では,複数の異なる視点の間にずれが生じ,それらが融合され,ねじれた視点構 造が表出する中でマイクロスリップが生起すると考えられるが,観察者や語りの登場人物の視点のずれを調整することで話者が整合性を得ようとすることを,事 例研究における質的な分析によって論じている.これらの知見の一部は生態心理学等においてはすでに知られているところだが,言語による談話との関連を指摘 し,談話研究を中心とした社会言語科学における新境地を切り拓いた点が高く評価できる.キャッチメントの概念を援用しつつ言語における情報構造との並行性 を論じるなど,狭義の言語研究との発展的な関連性を示唆し,それを踏まえて,話者が環境の中のいかなる資源に制約されながら発話と身振りを用いて談話を組 織化し構築するかを解明する一つの道筋を示した.また,この延長線上に,例えば,メンタルな問題を語る話者の言語,非言語行動における発話と身振りのミス マッチなどの分析にも貢献しうるという意味でウェルフェアリングイスティクスとしての期待も高い.
以上の理由から,本論文が徳川賞萌芽賞の意義に鑑みてそれにふさわしく,かつ優れた論文であると認め,本賞を授与するものである.
徳川賞を受賞して
榎本美香・伝康晴
2000年,当時博士課程3年生であった榎本はATRという会社に研修研究員として雇用され,そこで自分の研究者として の実力のなさを痛感しました.周りの人に助けて貰わなければ,学会発表用のスライドすら作れませんでした.「このまま卒業しては何者にもならない.」1年 後,所属する千葉大学の大学院へ戻り,細々と研究者になるための試練に向かいました.
伝が千葉大学に赴任したのはちょうどその時でした.理工系から人文系に転向し,教育と研究にかける情熱に満ち溢れていました. 「お前に研究の仕方を叩きこんでやる.」1年後,ATRのインタラクションコーパスの設計に指南役として参加した伝が千葉に帰ってくるなり,「これからは マルチモーダルや!」と意気込みました.偶然,榎本の恩師であり,伝の同僚である土屋俊先生の〈3日以内に500万円使わなくっちゃ〉という予算があり, デジタルミキサーやらハードディスクレコーダーやらデジタルビデオカメラやら,明らかにオーバースペックな機材を買い込んで撮り始めたのが本論文で分析し ているデータです.
あれから10年が経とうとしています.榎本はヨチヨチとしながらも大学教員として独り立ちし,伝は日常の業務に忙殺されなが ら,久しぶりに二人で一緒に書いた論文がこの論文です.徳川宗賢賞優秀賞を授けていただき,頑張ったねとお声をかけていただいた気持ちで一杯です.私たち を研究者に育ててくれ,支援してくれた先生方と仲間たちに,心より感謝を捧げます.
古山宣洋・末崎裕康・関根和生
この度は徳川宗賢賞(萌芽賞)を受賞させていただき,誠にありがとうございます.生態心理学で議論されているマイクロス リップ,そこから垣間見える身体と環境の切り結びを明らかにしようとするエド・リードの構想に出会ったのは1992年のことでした.以来,このアイディア をなんとか言語コミュニケーション研究に取り入れ,談話の組織化を成立させている身体と環境の切り結びに迫りたいという思いを胸に,ジェスチャー研究の世 界へ足を踏み入れました.それからずいぶん長い時間が経ちましたが,ここ数年になってようやく受賞論文をはじめ,論文や予稿などのかたちでまとめることが できるようになりました.今回の萌芽賞は,荒削りながらも私たちが模索してきた方向性に対するエールだと受け止め,今後の励みにさせていただきたいと存じ ます.現在,第二著者を中心に,心理カウンセリングにおける発話や身振りの淀みに着目し,カウンセリング対話の組織化の過程を明らかにしようとする研究を 進めているところでございます.一定の成果が出ましたら,また皆様にご報告し,社会言語科学の発展に役立つような成果にしていく所存です.引き続きご鞭撻 のほどよろしくお願いいたします.